2009年07月07日
何かを訴えるニャン。
俺は、自分ちでニャンを飼っているわけだから、
あんまりよそんちのニャンの動画を見ても心動かないんだけど、
久々にズキューンときた動画を発見しちゃった。
なんか、一生懸命何かを訴えてる。
いやー、めんこい。
何かを訴えるニャン。
俺は、自分ちでニャンを飼っているわけだから、
あんまりよそんちのニャンの動画を見ても心動かないんだけど、
久々にズキューンときた動画を発見しちゃった。
なんか、一生懸命何かを訴えてる。
いやー、めんこい。
2009年07月06日
伝える責任。
あべさん亡きあと、なんだかいろんな人に俺の心配をしてもらっちゃって、
いろんな励ましの言葉やメール、ギフトなどを頂戴し、
本当にありがたいやら恥ずかしいやらです。
挙げ句の果てに、「わこうちゃんまで死なないでよ!」なんて泣かれる始末。
大丈夫。死なねぇから。
昨日、一昨日と、お店でイベントがあったこともあり、
なんだかお客様がワ------------ッと来てくださって、
大汗かきかき、多少パニクりながら、忙しく過ごしたこともあり、
俺はすっかり日常に戻って復活してます。
昨日はもう、仕事が終わってからしばし放心していたほど疲れた。
いやー、昨日のビールはうまかったねー。
あべさんが死んじゃったことは悲しいけど、
俺は俺で、生きなければいけない現実があるし。
で、ここから先は、かなり愚痴まじりの内容なので、
不快に思われる方は、読まないでください。
さて、俺もマクロビオティックの講座をやったり、
いろんな人のサポートをしたり、望診法を勉強している立場上、
人に伝えることの難しさや、その重みを感じている。
ましてや、こうしてBLOGに自分の考えや思いを書くと言うことにも、
いろんな意味で責任が生じる。
自分は良かれと思って書いたことも、知らずに誰かを傷つけてしまうこともある。
実際、このBLOGも5年もやっていれば、
何度か忠告を頂戴し、記事を修正したこともある。
特に、人に伝えることを生業とする人は、
人一倍、自分の言う言葉に責任を持つべきだと思う。
これは俺にも言えることだ。
実は昨日、かなりアタマに来ることがあって、
落ち込んだりムカムカしたりしてたんだけど、
何にアタマに来たかというと、無責任な言葉だ。
たとえば、ある分野において、
専門的な知識を持っている人や、特殊能力がある人は、
良かれと思って言うことと、エゴという、相反するものを持っている場合がある。
以前、自称ヒーラーを名乗る人から、人前で突然、
「わこうさんが雪音さんのことを話すと、オーラの幅が広がるから、
何かあるのかなーと思っていたんですよー。」
と、言われて、
「なに勝手に人のオーラ読んで、自慢げに話してんだこの野郎!」
と思ったことがある。
「てめぇの下世話なワイドショー的なネタにすんじゃねーよ!」
とも。
そのとき俺は、笑ってごまかしたけど。
その人からは、
「私、特殊能力持っててスゴイでしょ。」的なエゴが見え隠れしていた。
ように見えた。
正直俺は、チャネラーとか、ヒーラーの人は、
技術取得とか能力開発ばっかりに目が行って、
人として大切なモラルが欠如している人が多いなーと思っていて、
ちょっと苦手だ。
ましてや、俺がリーディングを依頼して言われたんならまだしも、
望んでないことを一方的に言われてガッカリすることもしばしば。
特に、目に見えない世界のことを扱う人は、こっちはわからないんだからさ、
言葉を選んだり、言って受け取れるかどうかを判断したり、
もうちょっと責任もってくれよって思う。
その責任を持ちきれないんだったら、
いくら見えようがなんだろうが、黙っててほしい。
沈黙を守ることだって、ひとつの責任だ。
たとえば、俺の宝石、ニャンのまるちゃんも、もう9歳。
まるちゃんがいつか死んじゃうことだって考えなきゃない。
仮に、まるちゃんが死んじゃって、悲しみに暮れているとき、
「まるちゃんは大丈夫と言ってます。」
なんて、無責任に言われたらブッ飛ばしたい。
ましてや、そっち方面は、俺には雪音さんというスペシャリストがいるし、
俺と雪音さんが心から信頼している、
素晴らしいリーディングをしてくれる人がいる。
それで充分だ。
あべさんの悲しい記事のあとにこんなこと書きたくないんだけど、
どうしても我慢ならなかった。
ヒーラーやチャネラーの中には、志高く、徳の高い人たちがいることも知っている。
だから余計に残念でならない。
2009年07月03日
あべさんを、笑って偲ぶぞ。
あべさんが亡くなって6日。
昨日も、あべさんのことを語りに、お店に何人か来てくれた。
あべさんの生前の話をしては、笑ったり泣いたり。
俺も一人になってフッと気を抜くと、やっぱりまだこみ上げてくるけど、
もう、あべさんに会えないし、しょうがないんだな。
でも、俺はもう大丈夫。復活してます。
さて、あべさんは、亡くなる一週間くらい前、
山で熊と遭遇したんだそうだ。
亡くなる直前までそのことを、
あべさんは、飲み会の席で楽しそうに話していた。
で、本当は、あべさんから最初にその話を聞いたとき、
BLOGにアップして笑ってもらおうと思った動画がある。
今となっては、笑ってあべさんを送り出してあげたい。
ふたつアップするので、見て笑ってやってください。
極真空手vs熊 グダグダな動画です。
やらせだろこれー。(笑)
熊、遊んでんじゃん。(笑)
鮭缶のCM動画。
熊の機敏なフットワークが笑えます。
あべさん、笑ってやってくれ。(笑)
2009年07月01日
あべさんが残したもの。
先日逝ったあべさんの、お通夜と葬儀が終わった。
ご親族の想像をはるかに超える、大勢の参列者がきていて、
用意した香典返しが全然足りなかったと聞いた。
だがしかし、俺ももうそれなりの歳なので、
お通夜や葬儀に参列する機会も増えてきたが、
こんなに愛と悲しみが渦巻く葬儀は初めてだ。
あべさんの生きざまの賜だな。
どれだけ多くの人が、あべさんの死を悔やんでいることか。
そして、あべさんが、どれだけの人に貢献してきたか。
こんな時に使っちゃいけない言葉かもしれないけど、
実に天晴れな生きざまだと思う。
それだけに、俺も泣きっぱなしだったけど、
終始、方々からすすり泣きが聞こえてきた。
本当に、辛く悲しい葬儀。
みんなあべさんを愛してるんだな。
生まれて初めての弔辞を読ませていただいたが、
一応、箇条書きで原稿らしきものは作ったものの、
結局感情がグワーッときて、最低限言いたいことは言ったけど、
1回も原稿を見ないで終わってしまった。
なんだか、イマイチ何を言ったのか、
脈略はどうだったのかは覚えていない。
ちなみに、今日はこんなことを言いたかった。(PDFファイル90k)
今日の葬儀で、いろんな人と悲しみを共有して、
泣いて泣いて泣きまくったら、少しスッキリした。
あべさんが亡くなってから4日間、
あべさんが、それこそ命をかけて俺たちに教えてくれたことや、
あべさんの死に、あえて意味付けをするなら、
このことをどう解釈すればいいのかを、俺なりに考えた。
あべさんが亡くなった6/28の日曜、29の月曜と、
いろんな人と電話で話したし、いろんな人が、店に来てくれた。
まず、訃報が広がるスピードというか、
そのネットワーク網のすごさにビックリしたし、
そして、そこに愛があった。
久しぶりに会ったり話したりした人も多かったが、
みんな、必死であべさんの死から何かを感じ取ろうと、
いい意味で、ベクトルが同じで、共鳴が共鳴を生み、
そして、悲しいんだけど、みんな愛に溢れていた感じがする。
だって、あべさんみたいに絶対に死なないような人が、
ある日あっけなくこの世を去ってしまったらさ、
大切な人を、もっといたわろうとか、気遣おうとか思うよ。やっぱり。
みんなが優しい気持ちになって、愛が溢れていた。
だから、弔辞の時にも言ったんだけど、
あべさんの死を悔やむ思いを、いろんな人がBLOGやmixiに綴っていたけど、
俺が見るかぎり、誰ひとりとして、誰かに責任を追及したり、責めたりしていない。
あらためて言うが、これはあべさんの生きざまの賜だと思う。
こういう時って、つい誰かに責任の矛先を向けたりするもんだ。
その方がラクだもん。誰かを責めていたほうが。
だけどみんな、「あべさんと自分」という関係性や、その意味と向き合って、
あべさんの死を受け入れようとしている。
すごいことだなーって思ったよ。
あべさんのスピリッツは、ちゃんとみんなに伝わっているんだ。
で、ここから先は、何の根拠もない、俺個人の勝手な見解なんだけど、
あえてあべさんの死に意味付けをするなら、
あべさんは、もう、この世の修行を終えたんだと思いたい。
むしろ、あの世で必要な人というか。
こんなこと書いたら、無責任だと思われるかもしれないけど。
俺は、俺の親父が死んでから、それまでにも増して、
不思議なシンクロがおきまくったりして、
見えない力に守られてるというか、導かれているというか、
そんな気がしてならない。
ある意味、2004年の暮れに、
事故にあって右足に障害を負ったことも、
今となっては、それが無ければ今の俺はあり得ないというくらい、
俺にとって、人生の大転換期であり、必要な出来事だったんだと思う。
それは、親父があの世から、
いろんな力を使って操作してくれているような気がするのだ。
あべさんは、今度はあべさんが大切にしている人のために、
あの世からいろんな力を使うために、選ばれた人なんじゃないかと。
何度も書くが、これはあくまでも、俺個人の希望的観測というか、
そうあってほしいという願いに近いかな。
目に見えない世界の話だし、そもそもそんな世界があるのかすらわからない。
だけど、なにかこの辛い死に、ひとつでも、良い意味付けをしたいじゃないか。
そう思いたいんだよ。
じゃないと、心が折れてしまいそうだ。悲しすぎて。
今回のあべさんの死で、
「もっと●●していたら。」とか、「●●していれば・・。」とか、
たくさんたくさん聞いたけど、
後ろ向きな「たられば」は、もうやめよう。
そこからは何も生まれない。
自分を責め、辛く悲しくなるだけだ。
たぶんあべさんもそれを望まない。
「あのとき、もっと●●しておけばよかった・・。」って後悔するくらいなら、
出る杭は打たれるくらいの図々しさがあったほうがいいんじゃないスか?
なんて、飄々とした口調で言うんだろうな。あべさんなら。
そして、生きていればこその幸せを見つけたり、共有したり、
そんな連鎖の積み重ねが、充実した人生になる秘訣のような気がする。
あべさんが俺たちに命がけで送ってくれたメッセージ。
胸に刻みながら、一瞬一瞬を大切に、丁寧に生きていきたい。
四十九日が終わったら、あべさんを偲ぶ会をすることにした。
詳細はこれから決めます。
ちなみに、あべさんの四十九日は、8/15です。
あべさん、今まで本当にありがとう。
どうか安らかにお眠りください。
また来世でビール飲もうな。
2009年06月29日
あべはりさん 逝く。

昨日、大切な戦友、「あべはり」さんこと、あべ鍼灸院の阿部伸幸さんが、
事故のため、37歳でこの世を去った。
あべさんが無くなるほんの少し前まで、
定例で毎月やっている、「自然食を考える男の会」で、一緒に酒を飲んでいた。
最近あべさんは、山で熊の親子と遭遇したそうで、そんな話や、
お台場の原寸大ガンダムの話なんかを、本当に楽しそうに話していた。
本当に楽しそうだったんだよ。
それなのに、その直後、彼は死んでしまった。
激しい事故だったらしく、ニュースにもなって、
そのニュースを見た友人を介して朝早く俺に電話があり、
「まさかぁ〜。」なんてあべさんのケータイに電話したら、
身内の方が泣きながら電話に出て「亡くなった」と。
「顔を見てやってもらえませんか。」
と言われ、「わかりました。すぐ行きます。」と言ったものの、
何が何だかワケわかんなくて、半ば放心のまま身支度し、
酒もまだ残ってたからタクシーで向かった。
あべさんは、布団に横たわっていた。
まだほんのり赤みを帯びて、ムクッと起き上がりそうなほどなのに・・・。
あべさんは、俺が現在のまくろび庵をオープンし、
この世界に飛び込んでからできた、はじめての男友達。
約3年前のある日、180センチを越す巨体でヌーッと現れ、
「コーヒーもらえますか。」とオーダーされたのが、あべさんとの最初の出会い。
全然鍼灸師っぽくない風貌で、
珈琲好きだし、猫好きだし、車好きだし、共通点が多くてあっという間に仲良くなった。
その後、俺も治療に通ったけど、
それよりも一緒に組んで何かをすることが多かった。
彼は一流の治療家を目指して、本当に一途に勉強していたし、
酒を飲んだときも、シラフのときも、いつも熱く語っていた。
俺は誰かにあべさんのことを紹介するときには、
いつも「ゴッドハンド」と言っていた。

ウチの店で講座をしたときに使った、
等身大ガイコツを取りに来たときのひとコマ。
そのときのエピソードはこちら。
ガイコツくんの哀愁。
ガイコツくんその後。
昨日、今日と、あべさんと今まで何をしたっけかなーっていろいろ思い出していたが、
思った以上に、俺はあべさんと一緒にいろいろやった時間が多かったなーと、
あらためて思った。
いて当たり前。家族みたいな感じ。
だから、本気で怒って口論したこともあったし、
逆に、いっぱい一緒に楽しんだ。
語ったし、笑ったし、酒飲んだし。
あべさんは、困ったり悩んだりすると、拾ってきた子犬のような顔をする。
頼み事が苦手で、不器用な男だったなー。
いっぱい悩みを聞いたし、俺の悩みもいっぱい聞いてもらった。
かといって、「俺たち親友だよな!」みたいなベタな関係ではなく、
お互い商売をしているから、あえて言うなら「戦友」だ。
でも、でっかい弟のようでもあった。
いつも、毎月あべさんにやってもらっている陰陽五行講座が終わったあと、
酒も飲まずに、ただとりとめもない話をして何時間も過ごすのが、
最近の俺たち二人の定例会。
男二人で、酒も飲まないのに腹抱えてゲラゲラ笑って、
スッキリした顔をして帰っていくあべさんを見ては、
いつも「カワイイやっちゃなー。」と思っていた。
そして、あべさんがいること、存在することがあたりまえだと思っていた。
だけど、トラックの運転手時代から、
友人や先輩が亡くなることを何回も経験してきたが、
今回はホント、キツイ。
胸が張り裂けそうだ。
昨日は、あべさんの訃報を聞いた人たちから、
店の電話やケータイにバンバン電話がかかってきたし、
俺からも電話をたくさんかけた。
どうしていいかわからず、身の置きようがない仲間たちが、
何人も店に来た。
途中何度もこみ上げてきたが、イベントだったし、
とにかく俺がしっかりしなきゃと思ってこらえた。
だけど、男の会のメンバーの顔を見たり、電話で声を聞くと、
やっぱりダメだったなー。
長い一日が終わって、家に帰ってホッとして、
過去に撮った写真の中から、あべさんの写真を眺めていた。
やっとあべさんを偲ぶことができると。
そしたら、それまでこらえていたものが一気に吹き出して、
声に出して思いっきり泣いた。
許されるなら、もう一度あべさんに会いたい。
もう一度腹抱えて笑いたい。
コーヒー飲みながらさ。
あまりにも突然すぎるよ・・。
あべさんの弟さんから電話があり、
明後日の葬儀で、友人代表で弔辞を読むことになった。
何を話していいのか、まだ頭が真っ白で浮かばないけど、
あべさんが胸を張ってあっちに行けるように、
精一杯送り出してあげたい。
以下、あべさん関連の記事を抜粋してみた。
あべさんと俺、それぞれの珈琲。
ジャパニーズスポーツカー。
走れた。
新潟ふたり旅→ありえない結末。(スゴイ話です。)
40イェーイ!
ファンキーエンデューロまかない班。
新メンバー、クウちゃん。
去年開いてもらった、俺の誕生会の時の写真。
あべさんからもらった、「I LOVE 昭和車」のTシャツも、
我が家の4匹目のニャン、クウちゃんも、
あべさんの忘れ形見になってしまった。
今となっては、あべさんが無くなる直前までやっていた男の会で、
一枚も写真を撮っていなかったことが悔やまれる。
本当にあべさんは最後まで楽しそうだったからだ。
あんなに笑ってるあべさんを見たのは久しぶりだなー。
クリックで大きいサイズで表示されます。
あべさんが亡くなる4日前、別な飲み会で撮った写真が、
俺が持っている、最後のあべさんの写真となった。
ビールをこよなく愛すタフガイ、あべさん。
死んでもタフだよ。あなたは。
どうか安らかにお眠りください。
お通夜 6月30日 18時
葬儀 7月1日 14時
八善堂
仙台市宮城野区原町2-4-21
022-256-5755
喪主 阿部美那夫 さま
八善堂のアクセスマップはこちら。
2009年06月27日
2009年06月26日
マイケルジャクソン追悼。
マイケルジャクソンが死んじゃった。
中学生の時、受験勉強をしながら、よく、スリラーを聴いていた。
凄かったよね。マイケル。
数年前、行きつけの飲み屋さんで、マイケルのコンサートビデオを流していたが、
あまりの完成度の高さに、つい見入ってしまった。
そのとき、お店の人や、他のお客さん、共通の見解は、
「なんだかんだ言ってもマイケルはスゴイ。」
だった。
整形失敗だの、性的虐待疑惑だの、化け物だのなんだのと言われても、
やっぱり、エンターテイナーとして、超一流。
マイケルの歌や踊りは、やっぱり見ていてぞくぞくするし、
鳥肌が立つほど感動したりする。
たぶん、いろんな人のBLOGなんかで、
マイケルを追悼する記事はたくさん書かれるだろう。
で、俺が選んだマイケルの動画はこれ。
ニコ動版
11分と、ちょっと長い動画だけど、
すごーくわかりやすく編集されていて、マイケルの偉業がまるわかりだ。
YouTube版 その1。
YouTube版 その2。
死因がどうだのこうだのなんてどうでもいいこと。
マイケルほど、死んで「星になった」という表現が似合う大人はいないんじゃないか。
と、俺は思う。
ご冥福をお祈りいたします。
中学生の時、受験勉強をしながら、よく、スリラーを聴いていた。
凄かったよね。マイケル。
数年前、行きつけの飲み屋さんで、マイケルのコンサートビデオを流していたが、
あまりの完成度の高さに、つい見入ってしまった。
そのとき、お店の人や、他のお客さん、共通の見解は、
「なんだかんだ言ってもマイケルはスゴイ。」
だった。
整形失敗だの、性的虐待疑惑だの、化け物だのなんだのと言われても、
やっぱり、エンターテイナーとして、超一流。
マイケルの歌や踊りは、やっぱり見ていてぞくぞくするし、
鳥肌が立つほど感動したりする。
たぶん、いろんな人のBLOGなんかで、
マイケルを追悼する記事はたくさん書かれるだろう。
で、俺が選んだマイケルの動画はこれ。
ニコ動版
11分と、ちょっと長い動画だけど、
すごーくわかりやすく編集されていて、マイケルの偉業がまるわかりだ。
YouTube版 その1。
YouTube版 その2。
死因がどうだのこうだのなんてどうでもいいこと。
マイケルほど、死んで「星になった」という表現が似合う大人はいないんじゃないか。
と、俺は思う。
ご冥福をお祈りいたします。
2009年06月25日
アイが足りない。
最近、自分で名刺をデザインして、300枚ほど作った。
ところが、その名刺を使い始めたあたりから、
「メール出しても宛先不明で返ってくるんだけど・・・。」
と、言われることが多くなってきた。
なんでだろう・・・。
と思ったら、

アイが足りませんでした・・。ごめんなさい。
脱字こわい。
2009年06月24日
不思議水晶 unity。
俺やおふくろは、水晶との縁が深い。
時はググーッとさかのぼって15年前、まだトラックに乗りたてのころ、
ハードな仕事や人間関係に悩んでいたところに、
おふくろがお守り代わりにと、本水晶のネックレスをくれたことが始まり。
濁りのない、スゴイ綺麗な本水晶が54個連なった、数珠のようなネックレス。
当時、トラックの運ちゃんと言えば、太い喜平の100グラムくらいの、
金やプラチナのネックレスをぶら下げるのが定番。
俺も、水晶のネックレスを身につける前はそうだった。
が、その水晶のネックレスをかけたその日から、
会社で、仲の悪い先輩から急に話しかけられて逆に仲良くなったり、
雨に濡れることや大渋滞に遭遇する機会が激減したりと、
水晶のパワーにはホントに驚いたもんだ。
それ以来12年間、ワイヤーが切れて修理に出すとき以外は、
片時も離さずその水晶のネックレスを身につけていた。
話は前後するが、思い起こせば、そもそも俺と相棒りえさんの出会いは、
まくろび庵をオープンした2005年、りえさんがお友達と店に来てくれたとき、
りえさんが石やジュエリーを生業としていると聞き、さらに、
ちょうど俺の水晶のネックレスの留め金が壊れていて、その場でりえさんに相談。
そして、修理のために、当時のりえさんのオフィス(工房?)に訪れたのがはじまり。
その時は、俺とりえさんがまさか一緒に暮らすような間柄になるなんて、
夢にも思わなかった。
りえさんにその水晶のネックレスを診てもらったとき、
「あららー。この水晶たち、ずいぶん疲れてるねぇー。」
って言われて、ちょっとショックだったけど、思い当たることがあって、
それをきっかけに、身につけることをやめて、休ませることにした。
トラックの運転手時代、事故や喧嘩で、身の危険を感じることがあっても、、
不思議な力で、大事に至らず命を守ってもらったことが数回あり、
りえさんにそれを指摘されたからだ。
俺の命を守るために、3回、大きな力を使ったんだって。
それ以来、他の石のブレスレットは身につけることはあったものの、
水晶を身につけることは無くなってしまっていた。
と、相変わらず長ーい前振りだったんだけど(笑)、
今年に入ってお店をリニューアルオープンするにあたり、
しばらくぶりに水晶のネックレスを身につけることになった。
それが、

unity。
りえさんの完全オリジナルの不思議ネックレスだ。
unity公式サイトはこちら。
それ以来、やはり毎日unityを身につけている。

こんな感じで。
しばらくぶりに水晶を身につけてみたんだけど、
このunityは、なんだか不思議水晶なのよ。
unityを身につけたその日、クレームが2件たてつづけにあった。
まくろび庵をオープンして3年あまり。
それまで、クレームなんて一切無かったのに、いきなり1日に2件よ。
こう・・正直、うれしいことが起こるんじゃないか?とワクワクしていただけに、
まさに青天の霹靂というか、「うそー!」って感じよ。ホント。
が、そのクレームは2件とも、俺にとって必要なクレームだった。
イベントや講座の主催者として、
あらためて、自分の立ち位置や、責任の所在、言ったこと言わないこと、
できることとできないことの境界線を再確認・再認識させてもらえる良い機会となった。
クレーム自体も、別に大きな問題に発展せず、
誠意ある対応を心がけて、ひとつひとつクリアした。
それを皮切りに、すごく大きなうねりで、
仕事や人間関係の整理・再構築が始まった。
別に意図してないんだけど、
それこそ不思議な力で半ば強制的にいろんな出来事を通じて、
おもしろいくらい、パズルのピースがピタッピタッとはまっていく感じで、
いろーんな整理が起こっていく。
感情なんてお構いなし。
その時は「なんでよ〜・・。」って思うことも、
あとから振り返ると、「あぁー、このことを気付くために必要だったんだなー。」
って思う、そんなことが何回も何回も・・・。
俺よりも早くからunityを身につけている、unity諸先輩方は、
「3か月よ。3か月。だいたいそれを過ぎると落ち着くから。」
と、言っていたが、まさしく3か月間、
ジェットコースターのようにいろーんなことが起こったー。
でも、そのことには不思議と意味があって、自分にとってすべて必要な出来事だった。
いやー、不思議よ。
別に、意味づけする必要もないし、そうしてるつもりはないんだけど、
なんだか恐いくらいピタピタ来るのよ。
うまく言えないんだけど、そんな感じ。
俺がunityを身につけはじめて現在4ヶ月。
最近、ようやく一山越えて、いろーんなことが落ち着いてきた感がある。
そして、4ヶ月前と今の自分から見える世界がまったく違う。
こう・・クリアになったというか、なんかそんな感じ。
そして、昨日、りえさんに言われてハッとしたんだけど、
最近、自分の思いや感情に忠実になってきた感じがする。
こう・・良い意味でも悪い意味でも、嘘がつけないというか、
イヤなものはイヤって、正直に言ったり、表に出せるようになった。
今までは、どこか偽善的というか、お客さんや生徒さんの前では特に、
「ネガティブな感情を表してはいけない。」とか、「いい人でいなきゃいけない。」とか、
必要以上にそういう義務感というか使命感めいたものがあったんだけど、
その偽善的な自分がイヤになったんだな。
素でいられるようになったというか。
逆に、楽しいことは本当に楽しい。
だから、ムッときたり、我慢したりしたときも、
本当に楽しいときも、自分の感情を素直に出せるようになった。
だからって、無節操に出してるわけじゃなく。
こう・・いい具合に自分を解放しているというか。
今、とてもラクだ。
unityって、「統合」っていう意味なんだそうだ。
俺のunityちゃんもご多分に漏れず、
人間関係や仕事、りえさんとの関係を通じて、
いろんなことをいったんバラバラにして、本当にいいチョイス、ジャッジをした上で、
また新たに統合しなおしてくれた感じがする。
いやー、なんだかスゴイよ。これ。
最近、俺の周りで、unityを身につける人が増えてきてるんだけど、
みんな不思議とそうみたい。
そのうち、unityユーザーさん同士で報告会やらなきゃ。(笑)
以前身につけていたネックレス共々、
やっぱり俺は水晶とご縁があるんだなー。
時はググーッとさかのぼって15年前、まだトラックに乗りたてのころ、
ハードな仕事や人間関係に悩んでいたところに、
おふくろがお守り代わりにと、本水晶のネックレスをくれたことが始まり。
濁りのない、スゴイ綺麗な本水晶が54個連なった、数珠のようなネックレス。
当時、トラックの運ちゃんと言えば、太い喜平の100グラムくらいの、
金やプラチナのネックレスをぶら下げるのが定番。
俺も、水晶のネックレスを身につける前はそうだった。
が、その水晶のネックレスをかけたその日から、
会社で、仲の悪い先輩から急に話しかけられて逆に仲良くなったり、
雨に濡れることや大渋滞に遭遇する機会が激減したりと、
水晶のパワーにはホントに驚いたもんだ。
それ以来12年間、ワイヤーが切れて修理に出すとき以外は、
片時も離さずその水晶のネックレスを身につけていた。
話は前後するが、思い起こせば、そもそも俺と相棒りえさんの出会いは、
まくろび庵をオープンした2005年、りえさんがお友達と店に来てくれたとき、
りえさんが石やジュエリーを生業としていると聞き、さらに、
ちょうど俺の水晶のネックレスの留め金が壊れていて、その場でりえさんに相談。
そして、修理のために、当時のりえさんのオフィス(工房?)に訪れたのがはじまり。
その時は、俺とりえさんがまさか一緒に暮らすような間柄になるなんて、
夢にも思わなかった。
りえさんにその水晶のネックレスを診てもらったとき、
「あららー。この水晶たち、ずいぶん疲れてるねぇー。」
って言われて、ちょっとショックだったけど、思い当たることがあって、
それをきっかけに、身につけることをやめて、休ませることにした。
トラックの運転手時代、事故や喧嘩で、身の危険を感じることがあっても、、
不思議な力で、大事に至らず命を守ってもらったことが数回あり、
りえさんにそれを指摘されたからだ。
俺の命を守るために、3回、大きな力を使ったんだって。
それ以来、他の石のブレスレットは身につけることはあったものの、
水晶を身につけることは無くなってしまっていた。
と、相変わらず長ーい前振りだったんだけど(笑)、
今年に入ってお店をリニューアルオープンするにあたり、
しばらくぶりに水晶のネックレスを身につけることになった。
それが、

unity。
りえさんの完全オリジナルの不思議ネックレスだ。
unity公式サイトはこちら。
それ以来、やはり毎日unityを身につけている。

こんな感じで。
しばらくぶりに水晶を身につけてみたんだけど、
このunityは、なんだか不思議水晶なのよ。
unityを身につけたその日、クレームが2件たてつづけにあった。
まくろび庵をオープンして3年あまり。
それまで、クレームなんて一切無かったのに、いきなり1日に2件よ。
こう・・正直、うれしいことが起こるんじゃないか?とワクワクしていただけに、
まさに青天の霹靂というか、「うそー!」って感じよ。ホント。
が、そのクレームは2件とも、俺にとって必要なクレームだった。
イベントや講座の主催者として、
あらためて、自分の立ち位置や、責任の所在、言ったこと言わないこと、
できることとできないことの境界線を再確認・再認識させてもらえる良い機会となった。
クレーム自体も、別に大きな問題に発展せず、
誠意ある対応を心がけて、ひとつひとつクリアした。
それを皮切りに、すごく大きなうねりで、
仕事や人間関係の整理・再構築が始まった。
別に意図してないんだけど、
それこそ不思議な力で半ば強制的にいろんな出来事を通じて、
おもしろいくらい、パズルのピースがピタッピタッとはまっていく感じで、
いろーんな整理が起こっていく。
感情なんてお構いなし。
その時は「なんでよ〜・・。」って思うことも、
あとから振り返ると、「あぁー、このことを気付くために必要だったんだなー。」
って思う、そんなことが何回も何回も・・・。
俺よりも早くからunityを身につけている、unity諸先輩方は、
「3か月よ。3か月。だいたいそれを過ぎると落ち着くから。」
と、言っていたが、まさしく3か月間、
ジェットコースターのようにいろーんなことが起こったー。
でも、そのことには不思議と意味があって、自分にとってすべて必要な出来事だった。
いやー、不思議よ。
別に、意味づけする必要もないし、そうしてるつもりはないんだけど、
なんだか恐いくらいピタピタ来るのよ。
うまく言えないんだけど、そんな感じ。
俺がunityを身につけはじめて現在4ヶ月。
最近、ようやく一山越えて、いろーんなことが落ち着いてきた感がある。
そして、4ヶ月前と今の自分から見える世界がまったく違う。
こう・・クリアになったというか、なんかそんな感じ。
そして、昨日、りえさんに言われてハッとしたんだけど、
最近、自分の思いや感情に忠実になってきた感じがする。
こう・・良い意味でも悪い意味でも、嘘がつけないというか、
イヤなものはイヤって、正直に言ったり、表に出せるようになった。
今までは、どこか偽善的というか、お客さんや生徒さんの前では特に、
「ネガティブな感情を表してはいけない。」とか、「いい人でいなきゃいけない。」とか、
必要以上にそういう義務感というか使命感めいたものがあったんだけど、
その偽善的な自分がイヤになったんだな。
素でいられるようになったというか。
逆に、楽しいことは本当に楽しい。
だから、ムッときたり、我慢したりしたときも、
本当に楽しいときも、自分の感情を素直に出せるようになった。
だからって、無節操に出してるわけじゃなく。
こう・・いい具合に自分を解放しているというか。
今、とてもラクだ。
unityって、「統合」っていう意味なんだそうだ。
俺のunityちゃんもご多分に漏れず、
人間関係や仕事、りえさんとの関係を通じて、
いろんなことをいったんバラバラにして、本当にいいチョイス、ジャッジをした上で、
また新たに統合しなおしてくれた感じがする。
いやー、なんだかスゴイよ。これ。
最近、俺の周りで、unityを身につける人が増えてきてるんだけど、
みんな不思議とそうみたい。
そのうち、unityユーザーさん同士で報告会やらなきゃ。(笑)
以前身につけていたネックレス共々、
やっぱり俺は水晶とご縁があるんだなー。











